再び「帰去来の辞」

          (最後の「岩手からの便り」)

 

「はじめに」

実は私は、五年十ヶ月程前の2018年正月、第二の故郷「埼玉」から生まれ故郷「岩手」に帰るにあたり「帰去来の辞」と題し、このHPに以下{内}:の記事を投稿した経緯があります。

そして今般故あって再び第二の故郷「埼玉」に帰ることになり、これ迄続けて来た拙稿「岩手からの便り」の投稿も最後となることから、約六年前の投稿を再録させてもらいつつ、その後の生まれ故郷での生活振り等を振り返りながら、末尾に今般の転居のご挨拶を付記させて頂きます。

 

{冒頭}:

会員各位に於かれてはご健勝に新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。さて、いきなり「陶淵明」の余りにも有名な「詩」を軽々に引用するなど非才の身には恐れ多く、些か躊躇もしましたが、各位には下記のような背景等をご理解頂けるかもと期待して、以下の愚作を物して見ましたところ、ご一瞥下されば幸甚に存じます。

 

{帰郷の背景}:

青雲の志を抱き19歳の春に故郷の田舎の村を後にしたのが第一回東京オリンピックが開催される年(1964年)でした。爾来、異郷の地での生活が半世紀以上に及びましたが、故郷に空き家を放置した儘の状態に終止符を打つため等の理由から、この正月中にも故郷に帰ることを決心しました。

 

{帰郷の実情}:

自分の故郷への帰還が単に望郷の念に駆られてのものか、はたまた、これまで幾度となく経験した異国への一時的な移住と同じような引っ越しなのか、いや、それは所謂「終活」の態勢に入るための準備ではないのか、更に、そのことを会員各位や関係者の皆様に如何様にお伝えすべきかなどを色々思案し、HP担当の渡邊氏に相談して見ましたところ、「それは正に生まれ故郷に戻って安住する帰郷ではないか、羨ましくも感ずる云々」とのコメントを頂きました。

渡邊氏からそうしたコメントを頂いたものの、実のところ、果たして故郷は安住の地と成り得るのか等々、年甲斐もなく心は未だに揺れます。

 

{陶淵明の「詩」}:

その辺の整理が未だ出来ないまま“ふと思い浮かんだ”のが陶淵明の「帰去来の辞」でした。勿論、この詩が語るところは今回の私の帰郷に必ずしもマッチしたものではないのですが、処々には私自身のこれまでの人生の事々に絡み心に触れる何某かも潜んでいるやに感じられます。

そこで約半世紀程前に刊行された中国詩人選集(岩波書店)を紐解き、会員各位にもご紹介してみようと思い立ちました。

 

「第一段」

帰去来兮       帰りなん いざ

田園将蕪胡不帰  田園 将に()れなんとす (なん)ぞ帰らざる

既自以心爲形役 既に自ら心を以て形の役となす

奚惆帳而獨悲  (なん)(ちゅう)(ちょう)して獨り悲しむ

悟已住之不諫   已住の(いさ)めざるを悟り

知来者之可追   来者の追う可きを知る

實迷途其未遠   實に途に迷ふこと 其れ未だ遠からずして

覺今是而昨非    (さと)る今は是にして昨は非なるを

・・(以下、省略)・・

「第四段」

已矢乎     やんぬるかな

寓形宇内復幾時 形を宇内(うだい)に寓すること復た幾時ぞ

曷不委心任去留 (なん)ぞ心を委ねて去留を任せざる

胡爲皇皇欲何之 ()爲れぞ(こう)(こう)として何にか()かんと欲す

富貴非吾願    富貴は吾が願ひに非ず

帝郷不可期    帝郷は期す可からず

・・(以下、省略)・・

因みに、帰去来を「帰りなん いざ」と訓読したのは菅原道真が初めてで、それが定着して今に伝えられていることをPCの検索から知りました。

 

結びとして、故郷の詩人「石川啄木」に寄せて}:

石川啄木は本名を「一」(ハジメ)と言い、1886年(明治19年)、岩手県渋民村(現、盛岡市)に生まれました。そして12歳(1898年)で盛岡中学(現、盛岡一校)に入学します(私の62年程先輩です)。彼はご承知のとおり中学入学直後から詩作活動に入りその後多くの作品を世に残しましたが、22歳(明治42年)の時の日記に次のような一文を記しています。

淵明は酒に隠れき、我等は哄笑に隠れむとするか、世を(ののし)るは(やが)て自らを罵るものにならざるや。淵明の集を読み、感ずること多少ぞ。嗚呼、淵明の飲みし所の酒、その味は苦かりしならんや。酒に酔うは苦き味に酔うなり。酔余、口を開きて哄笑す。哄笑と号泣と、識らず、(いず)れか是れ真に(いたま)ましき。(原文は漢文)

それは啄木の陶淵明に寄せる興奮と、更には、淵明という千五百年前の異国の詩人の複雑な人物の秘密に対するある種の共感と何某かの発見を書きつけたものと思われます。因みに、それは彼の中国の詩人「魯迅」に遡る二十年前のことです。そして啄木は1912年(明治45年)に早逝します。26歳でした。

「むすびに」・・・以下、転居のご挨拶です。

前略

仲秋の候、各位に於かれては益々ご清祥にお過ごしのことと拝察いたします。

                     以下、私事に及び恐縮ながら

今夏の妻の急逝に際しましては各位より懇切なるお心遣いを頂き改めて心から感謝申し上げます。

一方、かかる事情に至りましたことも有之、小生此度、十月末日を以って約六年近くを過ごしました盛岡の地を離れ、下記(旧居)に転居することといたしました。

  〒 338-0822

    埼玉県さいたま市桜区中島1-21-12-2

    電話 048-855-7006

    携帯 080-6816-7391

各位にはこれからも色々とご迷惑をお掛けすることと思いますが何卒宜しくご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます

末筆ながら 各位 くれぐれもご自愛下されたく 

                                早々

   令和五年十月吉日

            中軽米 重男