P投稿(ゲッべルス)            2023414   中軽米重男

          ある古書店の店仕舞い

             (岩手からの便り)

 

「はじめに」

 (1)10日ほど前、これまで十数年以上に亘り行きつけにしている「A」という古書店に久しぶりに出掛けて行くと、それ迄雑然と書棚に積み上げられていた膨大な量の書籍がすっかり片づけられ、店はモヌケの殻で伽藍洞となっていました。店の主人は遂に店仕舞いを断行した模様です。昨今、しきりと世情を騒がす人々(市民)の書籍離れが遂に此処にも及んできたのか?と、些か感傷に耽った次第でした。然も、未だ剥がされずに窓に残された「閉店売り切りセール、全品50%引き、但し、100円本は除く」との真っ赤な張り紙が、商売の厳しさを殊更に物語っている感もあります。なお、嘗ては新聞記者であったと聴く店の主人は、恐らく商売戦略の一環としてか、此の張り紙をここ二年間ほど貼りっぱなしにして来た経緯があります。

(2)さて、前回1月下旬の投稿から既に約2ヶ月以上が過ぎた今回の投稿の主題は、例に依って、”些か突飛な感がある”「ゲッペルス」という、かのヒットラー率いるドイツ第三帝国の宣伝相であり、かつ、ヒットラーが最も信頼をおいた鬼才について、少しく書き残したいと思います。というのは、今年の二月中旬にっ如上の古書店の片隅に捨てられた如くに埃を被っていた本を発見し、これは珍品かも(?)との思いで購入した最新の、そしてこの店から購入した最後の書籍がこの「ゲッベルス」だったのです。

  それは邦訳約400ページ近くに及ぶ大著ですが、一旦読み始めてみると、ドイツ第三帝国の硝煙が未だ各所に漂う第二次世界大戦終戦直後に執筆された鬼才の伝記であるだけに、ついつい引き込まれ、途中何ヶ所かの読み直しを繰り返しながら、最近漸く読了したことから、その中で特に心惹かれた幾つかの部分を各位にも紹介したいとの衝動に駆られ、こうして拙筆を執ってみた次第です。例に依って、堪えて一瞥頂ければと思います。

 

1.書籍「JOSEPH GOEBBELS」(ヨーゼフ・ゲッべルス)

*ゲッベルスとは

 :フルネームはPaul Joseph Goebbels

 :18971029日生まれ、194551日拳銃自殺

 :ボン、フライブルグ、ヴュルツブルグ、ミュンヘン、ハイデルベルグの各大学卒

 :国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)国民啓蒙・宣伝大臣

  戦終戦直前、ヒトラーが指名し、ドイツ第16代首相(1945430日~51日)

  また、べルリン防衛総監 1945130日~51日)

 :妻、マグダ・ゲッベルス(服毒自殺)

 :子女、15

*本書の概要

(1)著者及び本書執筆の経緯など

 :著者「Curt Riess」(クルト・リース)

 :1902年、ヴュルツブルグ生れ

 :ベルリン、ハイデルベルグ、パリ、ミュンヘン各大学で学ぶ

 :大学卒業後、渡米してジャーナリストとなり、ドイツに戻り映画・演劇の評  

  論活動

 :ドイツでヒットラー政権誕生を見てパリに行き、次いでアメリカに亘り各紙 

  に寄稿

 ;第二次大戦中は海軍の戦時報道員としてヨーロッパに滞在し、ベルヒステガ 

  ーデンで終戦を迎える。

 :大戦終了後にアメリカに帰り、ゲッベルスを知っている人々(注1)に直接  

  会って資料(注2)を収集し、1947年に本書を完成。

 (注1)ゲッベルスの母、妹、義弟、義母(妻マグダの母)、ゲッベルスの右腕、 

    秘書、妻マグダの秘書、マグダの看護婦、ゲッベルスの嘗ての恋人、速記者

   (注3)、通信社の社員、その他

 (注2)以下、本書「まえがき」より

   「ゲッベルスの伝記を書くのは、はじめはわけなく思われた。彼の演説、論説、 

    著作は多く、これらの公刊資料を調査すればよいと即断していたのである。し

    かし、終戦近くドイツを訪れ、ゲッペルスと仕事や生活をともにし彼をよく知

    っている人達と話すにつれて、右に述べたような調査は不完全なことが判って

    きた。ゲッベルスはナチ国家だけではなく、彼自身をも嘘で固めていたのであ

    る。そこで私ははじめからやり直すことにした。数年間かけて準備した構想を

    破棄し、このプロパガンヂィスト(宣伝家)を知っている人の証言のない材料

    はすべて破棄した。だからこの伝記は何らかの形でゲッベルスと接触のあった

    人からの聞き書きで成り立っている。」

 (注3)ゲッベルスは速記者を二名おき、演説、論説を常時記録させ、毎朝日記を口

    述した。

(2)そもそもゲッベルスとは何者だったのか・・本書「まえがき」より

 「暗い、(むご)たらしいナチの悪夢に限りなく光が当てられるには、数十年もかかるに相違ない。それまで我々は生きてはいまい。およそ人間の理解を絶する出来事・・ガス室と組織的大殺戮、人間全体の奴隷化、民族根絶計画・・これらを後の人々に説き聞かせるものもいないだろう。

 人為的に作り出された熱狂の犠牲となったにしても、数百万の人間がなぜ己を破滅へ追いやるようなことをしでかしたか、後世の人は不審に思うであろう。それを解くには数百万語を要する。だが、敢えて一語に要約すれば、それはゲッベルスとなる。

 ゲッベルスは三つの役を演じた。先ず、我々の時代のアモラル(反道徳的)なニヒリズム(虚無主義)の典型であった。次に、そのニヒリズムの結実である国家社会主義運動の宣伝家(プロパガンディスト)であった。更に、人間精神を白痴化し、感覚を麻痺させて、ありもしない現実を呼び出す魔教の大僧官・・つまり、理念や教義の一切を冷笑し、善悪の彼岸に立って宣伝のための宣伝を行った宣伝至上主義者(プロパガンディスト)であった。

 観点を変えると、近代に例を見ない反道徳的虚無主義の拡大と深化を梃子として(このニヒリズムの典型がゲッベルスであるが)ヒトラーは世界の覇者となり得たのだ。ゲッベルスの宣伝の魔術がなけらば、ヒトラーは世界の脅威となならなかっただろう。途方もない権力なしには、ゲッベルスはあの底なしに堕落した宣伝の生体実験を行うことは出来なかった。彼の実験は強制収容所の医師たちが行った身の毛もよだつ生体実験の恐ろしさと匹敵する。ゲッベルスは新しい現実を創造する。それは全くの虚偽に織られていた。・・・彼はニヒリズムを避けるためなナチに入った。だが彼はニヒリストのままだった。・・・

(3)本書中で(私、中軽米が)殊に興味を魅かれた点

*(戦況が愈々逼迫の度を深めて来た19451月)

 ある日の昼過ぎ、ヒトラーはゲッベルス邸を訪れた。ゲッベルスの私邸は首相官邸から歩いて何分もなく、二つの建物の庭園は隣り合っていたが、ヒトラーは何年も来たことがなかったので、彼の来訪はちょっと騒ぎだった。ゲッベルスは門まで彼を出迎えた。彼は手を挙げてヒトラー式の挙手の礼をした。小さな娘たちは晴れ着を着てフュウラー(総統)にお辞儀をした。ヒトラーはマグダにスズランの花束を贈った。「貴方の御主人が花屋を封鎖してしまったので、中々良いのが見付からなかった」と彼は呟いた。

 そこに居合わせた者は召使・部下・護衛のSS隊員に至るまで皆、フュウラーの外見に肝をつぶした。彼は老いさらばえ、全身がわなわなとと震え、片足を引きずっていた。

声はしわがれ、途切れがちだった。後ろの従者が持っているFという(フュウラーをさす)頭文字のついた革鞄から、ヒトラーは魔法瓶と小さな包みを取り出した。彼は自分用のお茶とお菓子を持ってきたのである。彼の訪問には亡霊のようなこの世のものならぬところがあった。ヒトラーはお茶をすすり。時折お菓子を(かじ)っていた。談話は一分ごとに途切れそうになった。彼は来てからかっきり一時間半後に立ち上がり、皆と握手し、再訪を約した。

 彼は去った。誰も口を開く者はいなかった。此の廃人のようなみすぼらしい男、これが国の守護神と見られていた人間か!、暗澹とした空気が皆を包んだ。マグダはそれを払いのけるように言った「でも、フュウラーはゲーリングの所ならおいでにならないわ」

*(19454月初旬)

 ゲッベルスの妻マグダに秘書が、ベルリンから逃げた方が良いのではないでしょうかと尋ねた時、マグダは唖然として一瞬、口がきけなかった。彼女は「私達はベルリンと運命をともにします」と答えた。こう言って彼女は恐らくそれと意識せずに彼女自身と夫との絆を結び直したのである。・・・一方、自分はともかく子供の命だけは何とかならないであろうか、と彼女は考えたことがある。子供たちを何処かの中立国へ連れて行くのを許すよう夫にせがんだ。そうしたらドイツへ戻って貴方のお供をしますと誓った。夫の答えははっきりと「だめだ!」であった。

 二人の会話のそれ以上の内容は判らないが、”子供を殺すというゲッベルスの決心は後世に色目を使っての事ではありえない。此の冷酷な殺人に後世の人々は震え上がるだけだ、・・こんな判り切った反応を彼が読み取れぬはずがない。”とすれば、恐らく事情は次のようなものだったろう。彼の子供はゲッベルスの一部であり、形而上学的規模になった彼のシニシズム(注)においてゲッベルスという存在に終止符を打つために子供の抹殺が必然であったのである。・・・以下、省略

(注)社会の風潮や規範など、あらゆる物事を冷笑的に眺める見方や態度

 

 

2.もう一冊の書籍「ゲッベルスと私」について

* この書籍の原題は「EIN  DEUTSCHES  LEBEN(あるドイツ人の人生)ですが、それは2013年と14年にミュンヘンで収録された「ゲッベルスと私」というドキュメンタリー映画における、ブルンヒルデ・ポムゼルという、当時103歳になるゲッペルスの元秘書(細部の経歴等は下記)の対話を編集したものです。なお、邦訳版は19186月に初版が発刊されています。

*ブルンヒルデ・ポムゼル(Brunhilde Pomsel

1911年生まれ、

1933年に(22歳)ナチ党員になり、ベルリン国営放送局で秘書として勤務

1942年に(31歳)国民啓蒙宣伝省に移り、ヨーゼフ・ゲッベルスの秘書として勤務

194552日、総統地下壕の隣にある宣伝省の防空壕で終戦を迎え、ソ連軍に捕 

 わる

1950年までの5年間、複数の特別収容所(旧ブーフェンヴァルト強制収容所等)に 

 抑留

1955年、収容所から解放され、その後ドイツ公共放送連盟(ARD)で60歳まで勤務

2017127日(注:たまたまこの日は国際ホロコースト記念日)に106歳で死去

*本書の概要・・・「目次」からの抜粋

1930年代、ベルリンでの青春時代:私達は政治には無関心だった

・国営放送局での仕事:ヒトラーはともかく、新しかった

・国民啓蒙宣伝省へ入る:少しだけエリートの世界に入った感覚であった

・宣伝省最後の日々:破滅まで、ナチ党に忠誠を誓った

・戦後の抑留生活と新たな出発:私達は何も知らなかった

103歳の総括(本書の纏め):私達に罪はない

・そして、彼女の「告白」

 「悪は存在するわ。悪魔は存在するわ。神は存在しない。だけど悪魔は存在する。

  正義なんて存在しない。正義なんてものはないわ。」

 

「むすびに」

  「JOSEPH GOEBBELS」(ヨーゼフ・ゲッべルス)の邦訳の初版発刊は19719月、即ち、今から約52年程前です。従ってこの書は、所謂、「古本」の部類に入りますが、現在でもネット検索すれば、何処かで在庫を探すことが出来る書籍です。

因みに、本書の翻訳者「西城真(さいき・しん)」氏は、1934年岩手県生まれ、1961年東京大学文学部卒となっていますが、現在の消息などは、私には不明です。

 

 

                       (終わり) 2023414日記